学会3世のわやくそな日々を綴る

「わやくそ」とは中国地方の方言で滅茶苦茶を意味します。

365日闘争

さてわやくその最初のモテ期はおそらく21歳の時かと思われる。

 

今回の話は21歳のモテ期、に入る前の話である。

 

「365日闘争」と書いたのは2010年クリスマス前に天秤子との話があってから2011年のクリスマス前のちょうど1年間で、自分なりに成長して手に入れたものがとても多かったからだ。

 

さて、「天秤の女」の話に書いた通り、

wayakuso-diary.hatenablog.com

2009年12月時点での天秤の女の彼氏に比べるとやはり完敗だった。

 

身長

高>低


勉強

高得点>平均点


スポーツ
格闘技>なし


自給自足力
バイトあり>バイトなし


免許
あり>なし



あり>なし


総合的魅力
あり>なし
 

正直身長、総合的魅力以外はどうにかしなけらばならない状況であったとも言える。

 

まずはアルバイトを始めることにした。

 

アルバイト特に接客関係での就労は小生の進路上、凄く重要であったからだ。

それをしなければ卒業も出来ないのだ。

 

或る友人は親の経営するレストランで働いていたことにしたり、ある友人は実家近くのホテルで働いている知人に頼みそこで働いていたことにしたりなど結構えぐいことをやっている。

 

なぜなら日本で働いたことにしていれば大学側から調査は来ないからだ。

 

小生はそんな卑怯な手を使わずきちんとバイト先を探した。

 

最初のバイトは1週間でクビになった。

忙しすぎたし、忙しい割に覚える量も多い。

未経験者には辛い職場だった。

 

次のバイト先は、中心部とは真逆のバスの終点の僻地の日本人オーナーのレストランだった。

 

しばらくの間、小生は苦戦しながらも初めてのアルバイトに専念することにした。

 

沢山失敗もして怒られたりもした。


確かに自分の手で稼ぐということの苦労を知らなかった小生には、天秤子が言ったあの言葉が心底身に染みたのだ。

 

とはいえ、バイト先の店長や先輩たちはみんないい人たちであった。


今でもたまにやり取りする仲である。

まず、バイトを始めたことにより、学校の単位を取得できたと同時に自給自足力問題は解決した。

 

しかし、バイトを始めて半年ほど経った時のことだ。
小生の人生史上最も想定外の出来事が起きた。
 

父が突然脳梗塞で倒れたのである。
 

ちなみにこの年の想定外の出来事の一つとして3.11の東日本大震災が挙げられる。

 

父はおそらく震災の事後対応や処理で過労によって脳梗塞になったようだ。

 

小生はせっかく慣れたバイト、留学生活を一旦辞め、1学期間の休学手続きをして日本に帰ることに決めた。

 

おそらく小生は父の病院通いに付き合う羽目になるだろうと覚悟して帰ったのだがそうではなかった。

 

おかげさまで(学会的に言えば日々の福運から)軽く受けさせて頂いたのだ。

 

ほとんど後遺症もなかった。


休学を利用して免許合宿で免許を取ることに決めた。

 

父の通院のためでもあるが、もちろんこれも天秤の女のフィードバックから始まった「365日闘争」の一環でもある。

 

免許合宿だが、これはまた面白かった。
6月の閑散期ということもありさまざまな人間がいた。

 

免停になって再取得というような変わり者が複数人いたし、同年代ももちろんいた。

そこでも出会いはあったといえばあったが、その時のわやくそには留学先にまた戻らなくてはならないという意識が残っていた。

 

とりあえず免許合宿後、無事に免許も取得でき、交通社会人の仲間入りもした。

 

ここまでの半年で、バイトも始め自分で稼ぐことを覚えた。

免許も取得した。

 

そして10月…留学先へ戻った。

 

リサーチを重ねに重ね、ついに留学先で車を購入した。

 

13年落ちの車だったが日本では今は高級車の部類に入る車なので、

これまた非常に乗り心地がよかった。

 

車を購入したのには1つ理由があった。

 

あの居心地のよかったシェアハウスに戻れなかったからだ。

 

新しい家は現地で社会人をしていた日本人のカップルとピンの男に誘われてその家に入ったのだった。彼が誘ったのは当然カップルと暮らすのが気まずかったからだ。

あと、実はそのピンの男は学会員でもあった。

 

「でもあった」というのは過去形である。

そう、彼も彼の家族も後には退転したのだった。

 

その新しい家というのがこれまた不便な場所にあった。

 

本数の多いバス通りに出るまで歩いて15分くらいかかる。それも坂の上だ。

帰りは楽だったが、それでもこの苦行はなかなかしんどかった。

バイトも復帰したがこの不便な家はやはり不都合だった。

 

バイト先についても復帰できるように店長や職場の仲間は整えてくれていた。

 

バイト先も居ない間にずいぶん様変わりしていた。

なんと、店長が新しい店舗を構え始めたからだ。

 

新しい店舗もこれまた僻地にあった。

元の店舗から新しい店舗への直通のバスは90分に1本ぐらいしかない。

 

わやくそが車を持ったことに店長はしめしめと思ったのだろう。

店長は時々新しい店舗でのシフトに小生を使い始めた。

 

ここまでで自給自足力、免許、車とだいぶ成長したように見えません?

 

思い返せばこの「365日逃走」が起きた2011年、わやくそに冬はこなかった。

気づいている人もいるかもしれないが、わやくそがいたのは南半球だ。

 

季節が逆なので、6月に日本に帰国し、10月に留学先へ帰った。

つまり、わやくそにとっての1年はずっと夏だったのだ。

ずっと真冬の「アナ雪」の真逆で笑ってしまう。

 

「冬は必ず春となる」って、

いやいやそもそも冬なんて1日も来てねぇわという話なんですな。

 

一応、わやくそは結果を出す男になれたんじゃないかなと思います。

 

次回は「モテ期?」の話。